俺がスピードキューブにハマるまでの話(仮)
趣味ではないけど、たまには自分語りしてみようかな。
どうも、ひらけんです。
#10年を振り返る が流行った頃、こんなこと書いてました↓
2010 初ソルブから2年 sub60
— ひらけん (@HiraKen_cube) 2019年9月30日
2011 (放置)
2012 (...その後も自己紹介の)
2013 (ネタに使える、と頭の)
2014 (片隅に放置されること)
2015 (かれこれ8年)
2016 (←大学入って2年半)
2017 (無所属だった俺が↓)
2018 10年ぶり2度目の「初めまして」
2019 キューブに囲まれ至福の時😊#10年を振りかえる
せっかくなので完全版として綴ってみようと思います。
はまきゅ~入会1周年を迎えるにあたって、「2度目の初めまして」について振り返る。
— ひらけん (@HiraKen_cube) 2019年10月29日
1/2 https://t.co/5XRJbZDSCX pic.twitter.com/nSXVfwBMTP
はまきゅ~入会1周年を迎えるにあたって、「2度目の初めまして」について振り返る。
— ひらけん (@HiraKen_cube) 2019年10月29日
2/2 pic.twitter.com/coWWB9s54E
小2
近所の書店においてあったメガハウス製の公式キューブを母親に買ってもらったと記憶しています。元々パズルが好きだった当時のひらけん少年はすぐに食いつき、貪るように回していました。IQ200なんとかでもないので揃うはずもなく1年間格闘し続けていたわけですが。
#自分がキューブ始めた理由
— ひらけん (@HiraKen_cube) 2019年12月6日
小2の頃、メガハウスのキューブを親が買ってきてくれた
赤→オレンジ→黄→緑→青→白の順に1面を揃えるといつか6面できるはずだ、と1年間信じ込んでいた
パッケージの底に攻略書が入っていることを教えてくれなかった、と親に八つ当たりしたような記憶。
初めて6面完成できたとき、近所の子供からの遊びの誘いを直前に断ってしまった罪悪感が拭い去り切れなかった苦めの記憶。当時の攻略書はツクダ式でした。
小4
教室の後方に置かれていたおもちゃ箱。当時の担任の計らいだったのか、けん玉やコマに混ざってルービックキューブが入っていた。休み時間になる度に友達が崩すキューブを渡されては揃えてを繰り返した。当時sub60程度ながら、揃えられる人が他にいなかった環境に、思いあがっている自分がいた。大学3年まで引きずることになるのだが...
小6
ある日の夜。ノートを取り出す。手書きのランキング表を作る。愛用の公式キューブとストップウォッチ。手崩ししてはソルブしてを繰り返す。
「...できた」
上位10回のソルブ、そのすべてをsub60で埋めた。トップ3はsub40をたたき出した。
この日付にこだわる必要があったのか。今となってはわからない。
平成22年2月22日。
高2
パソコンに囲まれた部室。その一角になぜか置いてあったキューブと攻略本。親友の同期曰く「OBの置き土産」らしい。プログラミングに取り組む親友の傍ら、攻略本を熟読する自分だった。
今思えば、CFOPに乗り換えるチャンスだったのに...なぜだろう。119という手順の多さに当時は面食らってしまったのかもしれない。
(大学生編へ続く)